幕末秘話の眠る
恩愛の地 小杉
美祢市東厚保小杉で長州藩士 楢崎頼三が、会津白虎隊士 飯沼貞吉を養
育したという『高見フサのロ伝』が世に紹介されたのは、昭和56年に下
関吉田の郷土史家 浦上豊氏が著した『文部大臣高見三郎伝 小杉の
巻』私本によるものでした。その後、様々な調査 研究がなされ、その
成果が飯沼 楢崎両家にも伝わり、高見家で代々語り継がれた「高見フ
サロ伝による貞吉の長州養育説」が史実と確定されました。
会津若松鶴ヶ城落城の直後、会津・長州の間に憎悪の炎が燃え盛って
いる時期に、美祢東厚保の小杉では密かにこのような「怨讐を越えた人
間愛」の物語が営まれていたのです。
後日、楢崎頼三曾孫の松葉玲子氏による「楢崎家では頼三が貞吉の母
宛に「貞吉は無事である」との密書を送ったと祖母から聞いた」との証
言もあり、貞吉の小杉での養育が一層明らかになりました。
その2年後、頼三は政府の命を受け新しい兵学を学ぶためフランスに
留学しますが、志半ばにしてパリで客死します。
一方、頼三や庄屋の娘で楢崎家の手伝いをしていたフサ等の温情によ
り絶望の淵から回生した貞吉は、静岡学問所や東京の電信修技教場で電
信技術を学び、やがて通信網の構築に携わり我が国の近代化に多大な貢
献をします。戊辰戦争と明治 150 年の節目を迎えて私たちの前には、今
なお「会津・長州のわだかまり」をはじめ、国の内外において過去の戦
争に因る深刻な問題が残存しています。そこで、これからの時代を生き
る人々が「人間愛と平和を希求し・これらの問題を克服し・未来を拓い
ていく」を道標として『長州藩士 楢崎頼三 白虎隊士 飯沼貞吉/恩愛の
碑』を建立しました。日本の歴史における悲劇と友情の物語を伝える碑
です。もし機会があればぜひ訪れてみて下さい。
高見フサのロ伝によれば、会津戦争に勝利した楢崎頼三はおおよそ3
ヵ月後、飯盛山で自刃に失敗した貞吉をつれて小杉に凱旋。その中に村
人たちの知らない少年の姿が。この少年こそ会津白虎隊に 15 歳で入隊
し、敗れて飯盛山で仲間と自刃したが助けられてただ一人残った飯沼貞
吉でした。頼三により東京に護送され、さらに頼三の知行地・現美祢市
東厚保小杉へと連れてこられたのです。
その祝いの席で貞吉は再び自刃騒動を起こし、頼三は貞吉を別室に連
れていき「貞、命を粗末にしては
「長州藩士楢崎頼三 白虎隊氏飯沼定吉恩愛の日」建立実行委員会
ならぬ。」「貞、勉強せいお前の学
5 月下旬、広報の 7 人で美祢の小杉を
取材に訪れ、現地で白虎隊の会下関支部
の吉井克也支部長から話を聞きました=
写真。初めて聞く話も多く、楢崎家の屋
敷跡でのていねいな説明に広報部員一同
感激。「もっと多くの人が興味をもち、
現地を訪れてほしい」との思いを強くし
ました。
費はわしが出す。安心して勉強せい
よ。」頼三の諭しを黙って聞いてい
た貞吉は、翌日から殿様の書斎を借
りて、まるで生まれ変わったように
勉強に励みました。